名前や住所を知られずに裁判することはできますか(氏名等秘匿制度について)
Q:元交際相手に500万円貸しているので、返還を求める裁判をしたいです。私は交際相手からは交際中に激しいDVを受けたことがあり、DVから逃げるために、別れて、転居して住所を秘匿しながら生活しています。元交際相手に対して貸金返還を求める裁判を起こしたいのですが、裁判をするには訴状に自分の住所を書かなければならないと聞きました。裁判をすることで、せっかく隠している住所が相手に知られてしまうのでしょうか。
A:一定の要件を満たす場合には、民事訴訟法第133条に基づく「秘匿決定」を取得することにより、自分の住所や氏名を相手方に知られることなく裁判を進めることができます。
1 秘匿制度が設けられた背景
民事訴訟においては、従来、訴状に原告の住所・氏名を記載することが必要とされており、相手方(被告)はもちろん、第三者も訴訟記録を閲覧することができるため、原告の住所・氏名が広く知られてしまうおそれがありました。
このため、DVやストーカー被害の当事者が加害者に対して損害賠償請求訴訟を提起しようとしても、訴訟を通じて現在の住所を加害者に知られてしまうことを恐れ、裁判の提起を断念せざるを得ないという事態が生じていました。また、性犯罪の被害者が氏名等を加害者に知られることで、二次被害が発生するおそれもありました。
こうした問題に対応するため、令和4年(2022年)の民事訴訟法改正により、民事訴訟法第133条以下に「住所、氏名等の秘匿制度」が創設され、令和5年(2023年)2月20日に施行されました。
2 秘匿決定の対象と要件
(1)秘匿決定の対象となる情報
秘匿決定(民事訴訟法第133条第1項)の対象となる情報は、申立て等をする者又はその法定代理人の住所や氏名です。
ここで「申立て等をする者」とは、原告・被告・当事者参加人・補助参加人など、訴訟の当事者となる者を指します。なお、証人の住所・氏名や、法定代理人以外の親族の住所・氏名は、現行法上、秘匿決定の直接の対象とはなっていません。
(2)秘匿決定の要件
秘匿決定が認められるためには、住所等又は氏名等がの「全部または一部が当事者に知られることによって、申立て等をする者又はその法定代理人が社会生活を営むのに著しい支障を生ずるおそれがあること」が必要です(民事訴訟法第133条第1項)。
なお、申立て等をする者等の住所・氏名が知られることで、その親族に対して加害行為や畏怖・困惑させる行為がされるおそれがあり、それにより申立て等をする者等に社会生活上著しい支障が生ずるおそれがあると認められる場合も、秘匿決定は可能とされています。
具体的には、次のようなケースが典型例として挙げられます(法務省「住所、氏名等の秘匿制度の創設」参照)。
- DV被害者と加害者間の訴訟において、被害者の現在の住所が知られると、身体等への更なる加害行為や畏怖・困惑させる行為がされるおそれがあるケース
- 性犯罪の被害者と、その氏名を元々知らない加害者間の訴訟において、被害者の氏名等が加害者に知られると二次被害が生じ、立ち直りに著しい困難が生ずるおそれがあるケース
- そのほか、児童虐待、ストーカー行為、反社会的勢力が問題となる訴訟など
なお、申立ての段階では、上記要件の立証は「疎明(そめい)」(簡易な証明方法)で足ります。
3 秘匿決定の申立手続
秘匿決定は、申立てがなければ職権ではされません。申立てをする者が、裁判所に対して申立てをする必要があります。
申立ての際には、①秘匿決定の申立書、②秘匿すべき事項(真の住所・氏名等)の内容を記載した「秘匿事項届出書面」、③要件(社会生活上著しい支障を生ずるおそれがあること)を疎明する資料(例 保護命令の決定書、住民票上の支援措置を受けていることが分かる資料、陳述書等)を提出し、申立手数料として申立書1件につき収入印紙500円(秘匿対象者が複数いる場合は秘匿対象者ごとに手数料が必要)を納付する必要があります。秘匿事項届出書面は、秘匿決定の判断が出るまでの間、他の当事者等による閲覧が制限されます。
裁判所が要件を満たすと判断した場合、「秘匿決定」がされます。秘匿決定においては、秘匿される住所または氏名に代わる「代替事項」(たとえば「代替住所A」「代替氏名A」など)が定められます。住所の一部のみを秘匿する決定も可能です。なお、訴状の住所欄には、秘匿申立てと同時に提出する場合、空欄とするのではなく「代替住所A」などと代替事項を記載して提出することになります(同参照)。
4 秘匿決定の効果
(1)訴状等への記載
秘匿決定を取得した場合、訴状等に代替事項を記載すれば、真の住所・氏名を記載する必要はありません。代替事項が記載された訴状の副本が送達されれば、送達は有効です。
(2)訴訟記録の閲覧制限
秘匿決定を取得した後は、「秘匿事項届出書面」について他の当事者等による閲覧が制限されます。さらに、訴訟記録中に秘匿事項やその推知事項(たとえば受診した近隣の医療機関名、子が通う学校名など)が記載されている部分についても、別途「閲覧等の制限の決定」(民事訴訟法第133条の2)を申立てることで、その部分の閲覧を制限することができます。
(3)強制執行への対応
代替事項が記載された判決に基づき、強制執行の申立てをすることも可能です。また、民事執行の手続においても秘匿を継続したい場合には、改めて秘匿決定と閲覧等の制限の決定が必要です。なお、差し押さえた債権の取立てに際しては、弁護士が代理人として直接第三債務者から取り立てる方法をとることで、依頼者の氏名・住所を知らせないまま弁済を受けることも可能とされています。
5 秘匿決定の取消しと閲覧の許可
秘匿決定・閲覧等の制限決定は、要件を欠くことを理由に取消しの申立てをすることができます。また、相手方当事者から「攻撃または防御に実質的な不利益を生ずるおそれがある」として裁判所に閲覧等の許可を求める申立てがされた場合、裁判所の判断によって秘匿事項の一部または全部が開示される可能性があります(民事訴訟法第133条の4)。もっとも、閲覧等の許可の裁判をする場合、裁判所は秘匿対象者の意見を聴かなければならないとされており、秘匿対象者の保護にも配慮された手続となっています。
なお、閲覧等の許可を得た当事者は、取得した情報を訴訟追行の目的以外に利用したり、第三者に開示したりすることは原則として禁止されています。
6 実務上の注意点
秘匿制度を利用するにあたっては、いくつかの実務上の注意点があります。
まず、訴訟の途中で提出する主張書面や証拠の中に、秘匿事項やその推知事項(通院先・子の通学先など)が記載されないよう、書面の作成段階から十分に注意する必要があります。仮にやむを得ず記載が必要な場合には、その提出と同時に、当該記載部分を特定したうえで閲覧等の制限の申立てをする必要があります(民事訴訟規則第52条の11第2項)。秘匿決定だけでは証拠等の記載部分まで自動的に閲覧制限されるわけではない点に、とくに注意が必要です。
また、被告側(訴えられた側)にも秘匿制度は利用できます。ただし、被告は訴状が送達されるまで訴訟の提起を知ることができないため、被告が秘匿決定を申立てるタイミングは、訴状を受け取った後になります。
なお、家事事件(離婚調停・審判など)においても同様の秘匿決定制度が導入されています(家事事件手続法第38条の2)。DVや婚姻関係に関連するトラブルを抱える方は、家事手続においても活用を検討されるとよいでしょう。
本コラムの内容は、執筆時点の法令・裁判例等に基づいた一般的な情報提供を目的とするものであり、特定の事案に対する法的アドバイスではありません。個別の事案については、弁護士にご相談ください。